アンダーグラウンド・カルチャーから生まれたグラフィティ・アート。それは、壁という公共のキャンバスで、アーティスト達がスキルを競いながら進化させてきたもの。ギャングたちの主張と混同され、長く日の目を見なかった時代を経て、今、再び新しいアートとして注目を浴びている。
グラフィティ・アートとは、壁などに描かれた、いわば落書きのこと。それが新しいアートの形として確立され始めたのは、1980年代から90年代のニューヨーク。かつては政治的メッセージやギャングたちの主張に使われていたともいうが、無名の若者たちが壁や地下鉄車両に残した落書きは、法的規制の対象となってからどんどん複雑化し、現在の形へと進化を遂げた。元を辿れば、図案そのものは、自らのサイン(ニックネームや所属クルー)を表現したものだ。「普通の絵を描くアーティストも自分の絵の隅にサインするだろう?グラフィティは、それ自体をアートにしてるんだ。これも、ちゃんと僕のアーティスト名の“Dytch66”が(生物のフォームになって)描いてある」と、大きな虫を象ったような絵をなぞっていくのは、グラフィティ・アーティストとしてのキャリアは20年を誇るロバート。「僕は『バイオ・スタイル』という生物を使った3D系のグラフィティを描いていて、これは世界中の誰もやっていない、オリジナルなスタイルなんだ。僕がグラフィティを好きなのは、何を描いても自由だから。ポートレートや風景画っていうように形式も縛られないし、考え方の決まりもないしね」。
ロバートがグラフィティを始めたのは14歳くらいのとき。家族がベニス出身で、小さい頃からこの町の文化に影響を受けて育った。純粋にアートが好きでグラフィティを始めただけで、政治的な意味は特にないし、ギャングに関わったこともない。「僕たちグラフィティ・アーティストがよく行う方法は、いたずら書きされている壁の持ち主のところへ行って、壁を僕たちアーティストに寄付してくれないかと持ちかけること。この世界では、自分よりもうまい人のグラフィティの上にはいたずら書きしないという暗黙の了解がある。壁の持ち主もいたずら書きを消すためにペンキを買う必要ないし、お互いの利益になるからね」。
休日のベニス・ビーチ。観光客と軒を連ねる小さな店で賑わう。砂浜の方に目を向けると2枚の壁がたたずむ。10数人のアーティスト達がスプレー缶を手にし、その壁に向かってそれぞれの世界を表現していた。1990年代の終わりまでは、この場所にはコンサート・スタジアムがあった。この「ベニス・パブリック・アート・ウォール」と呼ばれる2枚の壁は、かつてはコンサート・スタジアムの後ろ部分の壁だったそうだ。しかし、ここで犯罪が多発したこともありスタジアムは取り壊され、この2枚の壁だけがグラフィティ・アーティストのために残されたという。
現在、10人ほどのグラフィティ・アーティストがこの壁を管理している。ベニス市は関与せず、この砂浜のリース代や、場所を保つのに必要な費用は、アート・オークションで絵を売ったりするなどして、アーティスト自ら出資しているという。「僕は最後まで残って、スプレー缶などの後片付けをする。スプレー缶を残しておくと、必ず誰かがいたずら書きしたりするからね。そういうケアをするのも僕たちの仕事のひとつなんだ。今はここが唯一残っている、グラフィティを自由に書ける公共の壁。グラフィティはベニスの文化のひとつだし、僕たちはこの壁をどうにか守ろうと頑張っているんだよ」。3つの高校でアートも教えているというロバート。グラフィティに興味がある子ども達に、法律違反を犯してまで描いてもらいたくない。こうした合法的に描ける機会を創り、アートとして守っていくことも、彼の仕事のひとつとなっている。
そもそもグラフィティは、アンダーグラウンドで始まった文化。しかし昨今、そのマーケットが急激に成長し、ビジネスチャンスが世界中で拡大しているという。ロバート自身、アーティストとしての活躍が本格化したのは、ここ4年ほどだそうだ。店のサインを作ったり、壁に絵を描いたりする壁画家の仕事を、スプレー缶を扱うグラフィティ・アーティスト達が請け負うことが多くなった。彼らの方がより早く、より安いコストで請け負えるからだ。「ビル壁のオバマ大統領や飲料、ベースボールなんかの広告は、全部スプレー缶で描かれているんだ。僕たちグラフィティ・アーティストは、巨大な壁をより早く描けるように、学んできているからね」。撮影セットの背景を描いたり、ミュージック・ビデオのビジュアルを担当したり、ロバートの仕事もぐんと広がっている。仕事は、映画やMTVなどのセットデザイナーやアート部門のリストに登録しており、発注がかかればそこから連絡が入る仕組み。「僕自身も、ここ数年間でビジネスをかなり学んだよ。契約書の作り方、ウエブサイトやソーシャル・ネットワーキング・サービスを活用したり、取材に積極的に応じたりね。ロサンゼルスのアーティストと活動したりして、ネットワーク作りも大事にしてるよ」。
ロバートは、グラフィティのアーティスト集団、CBS(Can’t Be Stopped)の取りまとめ役の一人でもある。 CBSといえば、1984年から存続する老舗で、グラフィティとしては世界中に名が知られているグループだ。「ギャングのグループと勘違いされることも多いけど、ぜんぜん違うんだよね(笑)。世間は、グラフィティ・アートをギャングたちがするような主張行為と一緒にしてしまっている。そういうことがこれまで僕たちが成功を阻んできた。以前まではビバリーヒルズのアートギャラリーでは、僕たち貧乏なグラフィティ・アーティストが作品を飾ってほしくても受け入れてもらえないことが多かったんだよ。
でも最近は少しずつ、立場が逆転し始めている。ギャラリーのほうが僕たちのアートを出したがってるくらいなんだ」。最近、6人のイタリアに住むアーティストをCBSのメンバーとして加えた。「つまり、イタリアにCBSの支部ができたってこと。他でも同じようにメンバーを加えて支部を増やしているんだ。僕たちがグループで活動するのは、皆で楽しむこともそうだけど、大きなイベントにも対応できるようにするため。一人でやっていくのは大変だからね」。みんな家族みたいなものなんだよ、とロバートはそう話しながら、強風が吹きすさぶ今日も、壁に向かってスプレー缶を吹きつける。ベニスにこの壁がある限り、グラフィティ・アートの可能性は今後も拡大していきそうだ。
ロバート ゴメス(アーティスト名 / Dytch66) / カルバーシティ生まれ。グラフィティ・アーティストとして、20年のキャリアを持つ。現在は、高校でアートを教える一方、TV番組、映画、ミュージック・ビデオ、写真撮影、ストア、服飾ブランドなどの背景画、アートなどを幅広く手がけている。これまでの主な仕事は、「スヌープ・ドッグ」のミュージック・ビデオや、「トニー・ホーク」「ビームス」などの装飾ブランドの背景セット、また雑誌「プレイボーイ」など。(公式ウェブサイト / www.dytch66.com)
取材場所 | ベニス カリフォルニア |
取材 / 撮影 | 堀口 美紀 |
編集 / 校正 | 高田 友美 |
発行人 | 池上 奨 |
版元 | オーガスト マガジン |
当頁は2009年から2011年にかけて発行されたエンタテインメント業界向けの無料情報誌「オーガストマガジン」をオンライン向けに再構成したものです。尚、記事や写真の無断転載及び無断引用は禁止いたします。
撮影関連会社を退社後カリフォルニア州ロサンゼルスに渡米。帰国後<アメリカ製>の雑貨や自転車(Schwinn製)などの輸入販売をオンライン上で開始。2016年。イリノイ州シカゴに拠点を置く仮装用マスク及びコスチュームの製造販売を行うZagone Studios製品の販売を開始。2020年。正式にZagone Studios Japanとして日本国内における同製品の輸入販売業務を開始。趣味はモトクロスバイク / バーベキュー / ピンストライピング / サーフィン / 釣りなど…