徳永優子

徳永優子 Yuko Tokunaga August Magazine

和装トータルスタイリストとして、日本でも高い評価を得た徳永優子。渡米により、その高度な技術と感性はさらに開花し、ハリウッドを魅了した。今も、平日はドラマの撮影現場、週末は自らオープンさせたサロンで、週7日休まず働く彼女。その生き方同様、発せられるピュアでまっすぐな言葉の端々に、彼女がアメリカで成功した理由が見え隠れする。


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同氏が経営するヘア サロン<KC Stylist Studio>

渡米の意外なきっかけ。

私は、小学生くらいからもう 「スタイリストになる」って決めていたの。だから、ファッション雑誌を切りとって色分けしたりしてね。16歳で京都・太秦の仕事をしていた岡村和江先生について、住み込みで日本の伝統的な白塗りや髪の結い方を学んだ後、芸者に着物を着せるアシスタントになったの。それと同時に、夜は京都着物学院というところに通って、京都の伝統的な着物の着付けについて学んだの。でも、太秦の時代劇の撮影は江戸時代の話だから、帯の結び方は関東手にならなくてはいけない。つまり、岡村先生には関東のやり方を、京都着物学院では関西のやり方を学んでいたというわけ。


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絵コンテ

両方を学んでる人はあまりいないから、東京でのウケはとてもよくてね。若い時から役や場所にこだわらず、幅広く技術をもつように心がけていたの。21歳で着物講師の試験をパスして、講師として教えたり、通信教育で美容師の免許もとっていたから、24歳で神戸にサロンを開いたりもした。同時にフリーで東京での仕事もどんどん請けていったのよ。1970年代から1986年くらいまでの、松田聖子さんや近藤雅彦さんがデビューした頃は、とても忙しく働いていたわ。でも突発的なことはできなかった。例えば、歌手に着物を前後ろ反対に着せたりとかしたかったんだけどね(笑)今でこそ私は平気でそういうことをするけど、当時はそんなことしたら「誰に教えてもらったと思ってるの?」とか「名前が汚れる」とか言われただろうから。今でも日本はそうでしょうけど、しがらみというか、常識というか、独特のものがあるからね。私はそういうのかなり若手だったので、出るくいは打たれるというか(笑)。若いうちからそれだけの技術を積み上げてくれば、周りからは恐れられるんだな、というのを自分でも悟りながら働いていたわね。


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撮影スタジオ内

日本では「会社に入ろうが、美容院に入ろうが、うちはこのやり方。これがベストです」とひとつの小さな箱に入れられてしまう。「こういうやり方も、他で習ったんですけど」って言っても、素直に耳を傾けて自分のやり方にしていく人がいなかったの。それは経営やビジネスにおいてだけじゃなく、接客やアートに対してもね。どちらかというとアメリカは、お互いを尊重しながら評価して、お互いの良いところをとりあって、お互いを「素敵だな」と言い合うような感じね。そういう態度に触れたとき、これが、日本にいた時から「何か間違ってる」って感じていた事なんだなって思ったの。だから渡米して、自分自身すごく楽になった。もう何も隠さなくていいっていうかね。


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ヘア・メイク部門が使用するトレーラ内

実は、アメリカに行った理由は、自分のキャリアとは全く関係ないの。娘をアメリカンスクールに通わせてたんだけど、離婚で経済的に難しくなったからなの(笑)。じゃあもうアメリカに行くしかないかって、それで渡米を決意しただけ。日本の技術をハリウッドに持っていこうなんて、そんなこと微塵も思ってなかった。ただ、日本では、美容室、結婚式、TV、映画、ミュージカル、色々なお仕事をさせてもらってたから「何でもまあ自分はこなせるな」っていう認識はあったけどね(笑)。生きていく事に対して、自信があったというかね。簡単な生活能力だけを日本から持って来ただけなんだけど、私は飲食店で働いても店長くらいはやれるだろうなって思ってたのよ(笑)。


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同氏のマイ・ステーション

映画「SAYURI」との出会い。

アメリカに渡ってからは、コミュニティカレッジに通って英語を学びながら、頼まれた時に細々と着付けの仕事をやってたの。私、骨董品屋さん巡りが大好きなんだけど、ある日たまたま入った骨董品屋さんに、ぐちゃぐちゃになった日本のかつらが飾ってあったの。それで、そこのオーナーとそのかつらの年代とか話をしていたら、彼に「君はよく日本を知っているな」って言われたのよ。で、せっかくだからってそのかつらをきれいに直してあげて、次の日またその店に行ったら、300ドルが1500ドルになって売られてた(笑)。アメリカ人って大胆だな、面白いなって思った。それがきっかけでオーナーと友達になったの。まさかその店が、映画に小道具を貸し出している店とは全く知らずにね。


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ヘア アイロンなどの道具

そのオーナーが、「ラストサムライは終わったんだけど、今度また大きなのが来るんだ」って教えてくれたの。それが、芸者が主人公の映画「SAYURI」のことだったのね。で、オーナーが監督のボブ・マーシャルに私を推薦してくれて、監督に会ったとき、カメラの前に立たされて「僕に君の技術を見せてくれ」と言われたの。だから私は、舞妓のだらり帯を素早く結んだり、帯が華やかに空中に舞うようにフロアーに投げながら外したりしてね(笑)。本当は、現場で監督の思い描くように帯を仕上げたり、巻き直したりするのが必要とされてたと思うんだけど、きっと自由自在に帯を扱えたということが、着物コンサルタントとして採用された要素だと思うわ。それからアメリカのエンターテイメント業界の事がよく分かるようになったわ。アメリカの業界に入り込むにはユニオンに入らなくてはいけない、ということも知ったし。それからはもうユニオンに入るためにがむしゃらに働いたのよ。ユニオンに入るには映像のヘアーで賃金を稼いだ日数を証明しないといけないから、安い報酬でも選り好みせずにね。現地の日系のテレビ局に行って「ただでもいいから働かせて下さい」ってね(笑)。


アメリカの骨董品屋さんに足を踏み入れたときに「あ、自分は間違ってた」って気がついたのよ。自分がそれまでずっと持っていた、今までの長い日本の美容界の「こうしなければならない」という教えに対してね。アメリカの骨董品屋では、中国の物か日本の物かも分からずに飾ってたりする事はよくある。火鉢に金魚鉢を使っていたりとかね(笑)。でも、それらを見て、今までの固定観念を破る力、新しいものを吸収する力、というものが一瞬にして出てきた。驚くほどのエネルギーとパワーと感性が。自分のそういう感性に合う媒体、つまりお客さんを見つけるには、ハリウッド業界に入ることが必要だと感じたのね。


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色んな人種のかつらが引き出しの中に勢揃い

アメリカでの成功の秘訣

日本とアメリカでは、仕事をする上で知っておくべき3つの大きな違いがある。まず、感性の違いね。アメリカ人は感性が強いし、いろんな髪の色、目の色、皮膚の色の中で育っているので、自分が思っているよりも向こうから自分が見えてしまうの。だから繕わないで、ありのままでいる事の方が、人間同士の繋がりが深くなると思う。装って英語をべらべら喋ったりしなくても、喋れなかったら日本語でもいいから“Wakaru(わかる)?”って言ったほうが良いのよ(笑)。私の場合はそれで成功してきたし。次に、人に認められるスピードの違い。人に認められるスピードは日本よりもアメリカの方が断然早いのよ。周りに生きてる人間の感覚と洞察力が鋭いから。格好がいいから、スタイルがいいからこの人に髪の毛のこと聞いたら分かるかな、というのではなくて。身なりがぐちゃぐちゃでも、びっくりするくらい鋭い感性を持っていたりするのよ(笑)。だから、日本と違って中を見ようとする。中を見て育ってるからね。だから自分も地でいける。作ってない自分でいられるんだと思うの。それに、アメリカ人って、誰かが自分を嫌いだとしても全然気にしないの。誰かに嫌われてるとしても「あっそう、私のこと嫌いなのね(笑)」って。日本みたいに「ちょっとあの人と反りが合わないから、ごますっておかないと」とかそういう事がないのよね。


最後に人との付き合い方の違いね。ハリウッドの映画界では皆が楽しんでやるの。日本のような師弟制度はアメリカには全くないのよ。僕が偉いとか、僕は何年やってるとかお互いの間には何もなくて、皆好きでやってるの。どこのどなた様だろうが関係ない(笑)。皮膚の色が黒だろうが白だろうが、どういう道を辿ってここまで来ようが、この仕事をしているって事は、皆同じだけのレベルにいる、つまり、「僕が凄いんだから、あなたも凄くて当然でしょ!」いう考え方なの。だから逆に、「僕から離れるんだったら僕はもう君に仕事あげないよ」っていうことは無いわね。私が受け入れられたのは、日本の伝統をそのまま当てはめようとしなかったからだと思う。アジア系の女優だからといって、単に日本や中国の伝統的なものを提供するのではなく、アメリカ人から見たアジア人の美しさをブレンドさせた作品を生み出すこと。二つの文化を融合させたハーモニーを作り出すという事かな。


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シーンの「継続性」を保つための記録用写真

例えば、アメリカ人はとんでもなく大きくてダイナミックな髪形が好きなのよ。だったら、チャイナドレスを着た役者さんのヘアスタイルには、日本人から見たら、「それってチャイナなの?」と思うようなものを作るくらいがいい。中国風でも、髪型は大きくダイナミックで、扇が頭についていたり、ハイヒール履いてたりね(笑)。私が「ブレンドさせる」っていうのは、そのアメリカ人のダイナミックなテクニックと、日本人の繊細さを組み合わせるってことなのよ。スプレーのかけ方とか、髪の毛の引っ張り具合とか、ピンの留め方とか、そういった技術のディテールが、上品さを引き出してきたり、真のアジアの雰囲気を作っていくの。そういう時には、他のスタッフも驚いて「どうやったのか教えて!」って声をかけてくる。そして、さらに言えば、ヘアスタイリングの技術のディテールが、役者の魂に入り込み、演技に引き出されるようになる。 役者さんが「私、なんか、アジア人になってきた気がする」って言うわけ。やってるうちにどんどん変わっていって、シーンが終わった頃には、「アジア人にさせてもらった(笑)」って言ってくれるの。


世界で活躍する日本人アーティストを育てたい。

アメリカで成功したいなら、見栄を張ったりせず、等身大の自分でいる事。あらゆる物を素直に受け止めて、ピュアな自分で居続ける事ね。海外でやるのなら、一から生まれるつもりで来たほうが良いわ。日本での経歴とか、何かを持ってくるつもりで来てはだめ。ここで赤ちゃんとして生まれるような、自分自身を(国際的な面から見れば)幼稚園児として考えて来るべきだと思うの。もちろん日本で培ってきたものが役に立つ日がいつか来る。ただ、ロサンゼルス国際空港に着いた日には、自分はまだ歩けないし、目も見えないし、言葉も話せない。そう思ってやればいいと思う。「何でこんな風にやるの? 日本でなら……」とか「常識ないな、日本だと通じないよ」とかそういう壁を持たない事よね。とりあえず「面白いな、やろう!」「こうなんだ、オーケー!」って、小さい子のように純粋に思える事が大切だと思うの。


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業界内での同氏のニックネームは<Yukes(ユークス)>

だから私は自分を7歳だと思ってるの。アメリカに来て7年目だからね。日本の7歳の子を見て、自分も同じ感覚で生きてるなって(笑)。例えば35歳で渡米したなら、35~45歳の大切な日本の中年期を、自分は失っているわけだから、何か自分の中で素晴らしいものを残さないと、もったいないと思うしね。日本で培ってきたものにこだわると辛いと思うの。サロンを経営してたとか、フジテレビで何年やっていたとか。それは全部しきたりと文化の中で成り立っただけであってね。それを忘れる事ができたら、日本人はとても辛抱強いから、成功していけると思う。


私自身のこれからは、日本人の方に国際的なアーティストになるためのメッセージを送っていきたいかな。このサロンにも来てもらって、本当に自分の思い描いている夢の通りやっていけるのか、どれだけの時間が必要なのか、そういうことを、本当のアメリカの厳しさを知った上で感じて頂いて。日本ではこうだ、というのを忘れてここで一からスタートする気持ちをもった方の力になりたいと思うの。それに、そういう気概を備えた人とは、日本人同士として、何か違う友情関係、あるいは異国で生きていく上での良い繋がりができていくと思うのよね。今までの日本のものを打ち破った、アメリカ人から見ても新しいタイプの日本人の文化みたいなものを作り出していけたらと思っているわ。


徳永 優子 / 東京生まれ。16歳から京都にて着物を学び、美容家、和装トータルスタイリストとして雑誌やTV、映画、舞台などで幅広く活躍。2001年に渡米し再スタートをきる。映画「SAYURI」の着物コンサルタント等の仕事を経て、現在数少ないアジア人ヘアデザイナーとして米エンタメ業界で活躍中。2008年、TVドラマ「プッシング・デイジーズ」でエミー賞ヘアー部門にて日本人初のノミネートを果たす。同年、次世代アーティストにハリウッドで得た知識を伝えていきたいとの思いからスクール兼スタジオサロンをオープンした。(公式ウェブサイト / www.kcstylist.jp

 取材場所 パサデナ カリフォルニア
 取材 / 撮影 堀口 美紀
 編集 / 校正 高田 友美
 発行人 池上 奨
 版元 オーガスト マガジン


当頁は2009年から2011年にかけて発行されたエンタテインメント業界向けの無料情報誌「オーガストマガジン」をオンライン向けに再構成したものです。尚、記事や写真の無断転載及び無断引用は禁止いたします。